こんにちは、木暮太一です。
「いい大学に入って、いい会社に勤めれば、将来幸せになれる。まずはいい大学に入りなさい」、そう言われていた時代がありました。しかし、今の子どもたちに同じアドバイスをすることはできません。いい会社に入れば幸せになれるとは限りませんし、「いい大学」に入れば「いい会社」に入れるわけでもありません。そもそもその会社が「いい会社」かどうかは人それぞれです。
多くの親がそれに気付いています。しかし同時に、多くの親が迷っています。自分の子どもに何を教えたらいいのか、どこを目指すように指導したらいいのかがわからないのです。
現在、学校の勉強ができても社会では生きていかれません。これまでは、与えられた課題に「正解」を出せる人材が求められました。そのため、勉強ができる人(問題に答えられる人)が評価されていた。しかしこれからは求められる能力が変わります。単に勉強ができる子、いい高校・いい大学に入る子が、社会で評価されるわけではありません。
「では、学校の勉強ではなく、どの分野を勉強させればいいのでしょうか?」
ぼくの講演会などに来てくれたお母さんから、そう聞かれることがあります。お母さんたちは、「英語ですか? 算数ですか? それとも何か別の習いごとですか?」というように、「どの科目を勉強したらいい?」と質問します。しかし残念ながら、「この科目を知っておけば将来安泰」というものはありません。知識は重要ですが、知識だけあっても意味がなく、それを使いこなせなければいけないわけですね。
■自分の意見を、言葉で伝えることが必須
これから間違いなく必要になる能力があります。それは「伝える能力」です。自分が考えていることを、相手に言葉で伝える能力です。これまで、日本は比較的画一的な社会でした。アメリカやヨーロッパと違い、言葉はひとつ、人種もひとつ、考え方もひとつ、という傾向が強くありました。そして、そのなかで、たった一つの「正解」を出すことを求められてきたわけです。
しかしこれからは違います。社会の中で「いろいろな考え方があっていい」と容認されつつあります。働き方や人生観についても、自分と他人は違っていていい、自分は自分と考える人が増えています。世の中が多様化しているわけです。
世の中が多様化し、各自が「自分の意見」を持つようになると、「以心伝心」「暗黙の了解」が使えなくなります。考えていることは、言葉にして、文字にして、明示しなければいけないのです。
以前、アメリカの大学にMBA留学した友人から話を聞きました。彼は、「向こうでは、『意見を言わない人は、意見を持っていない』と思われる」と言っていました。日本では必ずしもそうは思われませんが、海外では「意見を言わない=意見がない、何も考えていない」となってしまうのですね。
そして、今の子どもたちが大人になるころには、日本でもそのような環境になっている可能性があります。思っていることがあれば、相手に伝えなければいけない。伝わらなければ意味がない。長期的に考えれたら、そういう社会になっていくことは間違いないと思います。
社会を生きていくためには、様々な能力が必要です。その中には、学校で勉強する知識も含まれます。そして、ぼくは「自分の意見を言える、相手にわかりやすく伝えることができる」という能力は、そのうちの大きなもののひとつに数えられると思っています。
ぼくは社会人に向けて「説明力養成講座」を開講しています。せっかくおもしろい内容や、価値がある情報があるのに、“伝えられない”というだけでその価値が世の中に伝わってない、ということをもどかしく思っています。
ぼくはいつも受講してくれる方々に「黙っていて、相手がわかってくれると思ってはいけません」という話をします。みなさんが話したい内容、伝えたいことは、みなさんが一生懸命伝えなければ、相手は聞いてくれません。親や親しい友人、恋人であれば、なんとか理解しようと一生けん命聞いてくれるでしょう。でも、そこまでの間でなければ聞いてくれません。
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