こんにちは、木暮太一です。
自分の言葉を伝える力は、これからの時代、ますます重要になってきますし、「自分の意見を言えることが重要である」ということに対し、疑問を感じる人はいないと思います。しかしそれほど重要なテーマにもかかわらず、多くの子どもたちが言えずに苦労しています。子どもたちだけではありませんね。大人も自分の意見を言うことができません。それにはいくつかの理由があると感じています。
<自分の意見を言えない理由>
- 言うのが恥ずかしい/意見を言ったらいけないと感じている
- (意見を持つために必要な情報を)知らない
- 表現ができない
- 自分の意見が「わからない」
(1)言うのが恥ずかしい/意見を言ったらいけないと感じている
まず、「自分の意見を言うのが恥ずかしい」「意見を言ったらいけない」と思ってしまう人は少なからずいます。これまで学校で自分の意見の「間違い」を指摘された経験がある人は、このように感じる傾向があります。学校の授業では、「正解」が用意され、それ以外は「間違い」です。そしてその正解を言い当てられないことは、「下」とみられます。かくいうぼく自身も、子供のころ大人たちから「間違え」をバカにされた経験があります。そうしているうちに、だんだん自分の意見を言えなくなります。
このようにして言えなくなるのは、「よくあるケース」だと感じています。と同時に、そのようなケースにさらされて子どもが自分の意見を言えなくなる事態を非常に深刻に捉えています。
(2)(意見を持つために必要な情報を)知らない
そのことについて十分な知識がなく、どう判断していいかわからない、という人もいますね。たとえばみなさんに、「千葉県船橋市小室町の区画整備について、どう思いますか?」といっても、何も意見を言えないと思います。それは、千葉県船橋市小室町の区画整備について、十分な情報を持っていないからです(ちなみに、この小室町はぼくが育った町です)。
十分な知識がなければ、コメントしようがない、意見を言いようがありませんね。それはある意味仕方がないことです。
(3)表現ができない
また、表現ができないために自分の意見を言えない人もいます。自分が考えていることをうまく言葉にすることができないのです。何か頭の中に感情があっても、それを言葉で表現できないわけですね。「なんて言ったらいいか、わからない」という状態です。素晴らしすぎる芸術を見た時、あまりにも驚いた時、「何も言えねぇ……」という状態になります。それは問題ないですね。でも、常に「何も言えねぇ」だと困ります。自分の頭の中を言語化するトレーニングが必要だと思います。
(4)自分の意見が「わからない」
そして最後に、自分の意見が「わからない」という人もいます。自分の意見がわからないなんておかしい! と感じるかもしれません。でもわからない人は多いです。
小中学生を対象にした「作文講座」を実施した時の話です。ある食べ物について、好きか嫌いかを書いてもらう問題を出しました。そこで小学4年生の男の子がつまずいていたので、問いかけました。
「これ、食べたことある?」
「うん」
「どんな味だったか覚えてる?」
「うん」
「おいしいと思ったかな?」
「・・・わからない」
彼は、その食べ物を知らないわけではありませんでした。というよりむしろ、日常的に口にしていたようです。そして味も覚えている。でも好きか嫌いかを言うことができないのです。
にわかには信じられないかもしれませんね。でも、実際に自分の意見が「わからない」という子どもたちはいます。じつは子供だけではありません。ぼくの講座を受講してくれる方の中には、自分で言いたいことがわからないので、何を言っていいのかわからない、という悩みを抱えている人が少なからずいます。
大人でも「意見・感想」を言うことは難しい。何を言っていいのかわからないと感じている人は多いんです。試しに、映画や本の感想を人に話そうとしてみてください。「あの映画(本)、どうでした?」と聞かれて、すぐに答えられますか? どう答えたらいいのか、何を言ったらいいのかわからないという人がほとんどではないでしょうか?
それほどぼくらは自分の感情を自分で明確には把握していないということです。もちろん、大人であれば食べ物が好きか嫌いかは言えるでしょう。でも、ちょっとした感想を求められると、とたんに「まぁまぁ」とか「え……、『どう?』って聞かれても……」とかしか言えません。
自分の意見や感情を言葉にするためには、まず自分が何を考えているかを知らなければいけません。そしてそれを言葉にできなければいけません。ただ、単に「楽しかった」「うれしかった」など“ひと言コメント”では終わらせたくないですよね。もう少しなんか気が効いたことを言ってほしい(もしくは大人である自分もそういうコメント言いたい)と感じるでしょう。
では、どうすればいいのでしょうか? ポイントは「比較」です。
●何かと「比較」すれば、“ひと言コメント”で終わらない
「楽しかった、うれしかった」で終わってしまうのは、その感情をざっくり捉えているからです。ここで、何か別のものと比較すると、細かい感情や考えが出てきます。たとえば、「うれしかった」と言いたい時、「どの時と比べてうれしかった?」または「同じようにうれしかったのは、他にどんな時がある?」と子どもに尋ねてみます。
これを聞くことで、“ざっくりとした感情”をより細かく捉えられるようになり、感情にグラデーションがつきます。「あの出来事と同じくらいうれしかったなぁ」「あ、でも昨日プレゼントをもらった時の方が、うれしかった」と段階をつけられるようになるんです。
子どもが「遊園地行けてうれしかった」と言ったら、「どのくらい? 夏休みが始まる時と同じくらいうれしい?」と聞いてみましょう。
「いや、そこまでじゃないよ」「そんなもんじゃないよ、それよりずっとうれしかったよ」というようなコメントが返ってきたらしめたものです。そこからさらに掘り下げて、子どもたちの感情を言葉で引き出していけます。
ポイントは、「比較させる」です。大人も自分で試してみてください。きっと自分で思ってもみなかったコメントができるようなるでしょう。
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