自分の言葉が、結局一番おもしろい

資本主義は、「差」から利益を稼ぐ社会

 

資本主義とは、「差」から利益を稼ぐ社会です。「差」がなければ、選んでもらえない。
古くは大航海時代、ヨーロッパの列強各国は、地理的な「差」を求めて、アジアに進出しました。アジアでは豊富に存在し、価値がなかったものでも、ヨーロッパには存在していないので、高価な値がつく。この「差」から利益を得ました。
産業革命時代は、労働者から「搾取」することで製造原価を抑え、売価との差で利益を出していました。
日本でも同じように「差」を生み出し、会社は利益を上げて発展して来ました。それが、高度成長時代を経て、社会が発展し、同時に労働環境が整備されると、単に「安くつくって、高く売る」ことが難しくなりました。
今度は商品同士の「差」でしか、利益を稼げなくなりました。つまり、商品の差別化で稼ぐしかなくなったのです。

そして現在、この「差」は、どんどん小さく、どんどん微妙になっています。商品の差別化をしようとしても、結局大して変わらない商品しか作れません。作り手は「画期的な新商品」といいますが、消費者からみれば「微妙な差」しかない。
となれば、「よくある商品」「他でも買える商品」と思われてしまい、コモディティとして扱われてしまいます。しかしだからといって、「差」を追求することをやめることはできません。資本主義では、「差」があるから、認めてもらえる世の中だからです。

しかし、冷静になって周りを見てみると、多くの人が、周りと同じように行動しています。周りと同じように勉強し、自分がそれが好きだからとではなく、周りがそうしているからという理由で、大学に通い、周りと同じようにリクルートスーツを着て、大企業を目指して就職活動をします。
周りと同じ事で安心する、という気持ちはわかります。しかしそれは、自ら「差」がないところに入り込んでいることであり、自らを「利益を生まない場所」に追いやっているだけなのです。

差があるからと言って、売れるわけではない

そして、さらに難しいのは、「差があるからと言って、売れるわけではない」ということ。お客さんが商品を買うのは、「それが、ほかのものと違うから」ではありません。買ってくれるのは、「ほしい!」と思うからです。ここを誤解してしまっている企業が非常に多くあります。

ライバルとの差別化を意識するあまり、消費者にとってはどうでもいいようなことに焦点を当ててしまう。自分たちの自己満足的な違いを打ち出してしまう。消費者が理解できないような専門的な内容を語ってしまう。などなど。

「USP(ユニーク・セリング・プロポジション:独自のウリ)」という言葉がありますが、ユニークである前に、お客さんがほしいと思う商品であることが前提です。お客さんがほしいと思う商品であることが前提で、その次に「それを扱っているのが自分しかいない」というユニークさが問題になるわけです。

これまで資本主義は、「差」で利益を上げてきました。これらは、「お客さんにとって意味がある差」でした。差別化自体を目的にしても、望む結果は得られません。とにもかくにも、お客さんに欲しいと思ってもらえなければ意味がないことを認識しなければいけません。

結局、すべてがギャンブル

では、何をすれば、お客さんに喜んでもらえるでしょうか? ここで次の壁にぶち当たります。

「今やっていることが正しいのかどうか、わからない」
「何をやればいいのか、わからない」

そういう不満や不安を口にする人もいます。そう言いたい気持ちはわかります。ただ、何をすべきかが100%明確にわかっている人はいません。「絶対にこれだ!」という思いを持っている人はいますが、それは単にその人が「絶対こうだと思う」と感じているに過ぎません。
もともと、100%の正解なんてないのです。数年前まで圧倒的な収益力を誇っていた会社が、急に業績を悪化させ、赤字に転落してしまう時代です。商品自体はほとんど変わっていません。ある時は成功した商品やビジネスでも、時間が経ち、環境が変われば、うまくいかなくなってしまうのです。

これは今に始まったことではありません。
『資本論』を書いたカール・マルクスは、資本主義のギャンブル性を指摘しています。マルクスは、すべての商品は出来上がったあと“命がけの跳躍”をすると言いました。
この“命がけの跳躍”とは、生産したものが、誰からも需要されず単なるモノで終わるか、顧客認められて無事「商品」となるかの“最後の賭け”を示しています。

一生懸命つくっても、それが客に求められなければ売れません。売れないものは商品ではなく、単なる「モノ」です。もちろん、誰もが売れるつもりで商品を作ります。ですが、実際にそれが確認できるのは、できあがってからなのです。
出来上がるまではそれが「商品」となるのか、「モノ」で終わるのかわかりません。すべての工程が終わった後、最後の最後に消費者からのテストが待っていて、そのテストに合格したものだけが「商品」となります。つまり、そのテストに合格しない場合、それまでの労力は水の泡となります。
パチンコや競馬に限らず、資本主義ではすべてのビジネスがギャンブルなのです。

どんなに準備してきても、市場に受け入れられないことはよくあるし、どんなに時間とお金をかけて開発した商品も“命がけの跳躍”に失敗すれば、すべて水の泡になる。でもそれが資本主義経済で、それが働くということなのです。
「先が見えない」「何をやっていいのかわからない」のは全員一緒です。誰も確実な未来なんて見えていないのです。わからなくても、やってみるしかない。それが資本主義なのです。
そもそも確実なものなんて何もない。誰もが“命がけの跳躍”をし、ギャンブルをし、それに勝った人だけが残っています。

とはいえ、すべて行き当たりばったりで賭けをしなければいけないわけではありません。事前に考えを整理し、精度を高めることで、打率を上げることはできます。

かつて、「運(Luck)」とは、「Learning under Correct Knowledge(正しい知識に基づいて、学んでおくこと)」という表現を目にしました。まさにその通りだと思います。正しい情報を学び、学んでいる人に「運」やチャンスがめぐってくるのだと思います。

日々是勉強ですね^^

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