自分の言葉が、結局一番おもしろい

不平等がなくなるにつれて、より不平等さが目についてしまう時代

今はすごくいい時代だと思うんです。やる気次第で、自分一人で起業もできるし、かつては何百万もかかったシステムやテクノロジーがほぼ無料で使えたりします。

そんなに歴史を見てきたわけではありませんが、こんなに自分の能力を発揮しやすい時代はかつてなかったのでは?とも思います。

でも、この「自分次第でどうにでもなる世の中」でも、まわりを妬み、閉塞感を覚えている人たちがたくさんいます。

ぼくはそういう人たちを見て、なんてネガティブな人なんだろうって思ってたんです。でも、ある本を読んで、その人たちがそう感じてしまう構造が理解できました。それは、『アメリカのデモクラシー』(アレクシ・ド・トクヴィル著)です。

ご存じの通り、日本経済は、「年功序列」で成り立っていました。というより、まだまだ多くの企業が年功序列で、実力主義に移行する過渡期にあります。徐々に年上序列が崩れてきていますね。
そして同時に、テレビや雑誌では、実力主義の下、大活躍している若手が取り上げられています。自分の会社では依然として残っていたとしても、実力主義が間近に迫っていることは感じますし、実力主義の恩恵を受けている人を「目にしてしまう」時代です。
これが妬みを生む根本原因になっています。

この構造は、かつてフランス人の政治思想家であるアレクシ・ド・トクヴィルが指摘した“デモクラシーの負の側面”と酷似しています。

平等になったからこそ、些細な不平等が目についてしまう

 

中世のヨーロッパでは、アンシャンレジームという身分制度が存在していました。王族が一番偉い、その次に貴族、平民は一番下です。しかし、時代の変化とともに、この身分制度が崩れ、「デモクラシー」の時代がやってきます。
本来であれば、明確で圧倒的な不平等があるアンシャンレジームの社会より、みんなが平等なデモクラシーの社会の方がいいと感じます。疑いもなく、そう思うはずなのです。
ですが、その平等なデモクラシーの社会に生きる人々は、決して平等の幸せを享受していません。
なぜなら、「不平等を意識するから」です。書き間違いではありません。平等の社会になったあと、より強く不平等を意識しているのです。
非常に逆説的ですが、平等な社会になったからこそ、かえって不平等を意識するようになったのです。そして、平等な社会になあったからこそ、より一層「平等であること」に執着し、自ら窮屈に生きるようになったのです。

アンシャンレジームの時代、人々はどう頑張ってもその身分を超えて生きていくことはできませんでした。どんなに能力が高くても、平民は貴族よりは下です。理屈うんぬんではなく、「そういう制度だから、下」なのです。
しかしやがて、フランス革命に代表される市民革命が起き、絶対王政が崩壊します。身分制度も取っ払われ、みんなが平等になります。制度的には。
当然、身分制度がある時代より、デモクラシーの時代の方が、圧倒的に自由で平等のはずです。しかし、自由で平等だからこそ、かえって不平等感を痛感していくことになります。

一体なぜ?

その構造を、トクヴィルはこう分析しました。

『不平等がある社会の一般法であるとき、最も著しい不平等も目につかない。すべてがほとんど平準化した時には、どんな些細な不平等も人を不快にする。』(『アメリカのデモクラシー』)

トクヴィルの、この分析にすべてが凝縮されています。
もともと不平等が当たり前だったら、不平等であることはいちいち気にならない、しかし「これからは平等な世の中です」となった瞬間に、平等でない部分が際立って見えてしまう、ということです。

身分制度が道徳的に正しいかどうかは置いておきます。ここでお伝えしたいのは、制度的に明確な不平等が存在している中では、人々はそれほど不平等であることに対して、気にとめないということです。
そして、その制度が崩壊し、「不平等」であることが制度的に説明できなくなると、どんなに小さな不平等でも気になって仕方がないということです。

現代社会は、ついこの前まで、年功序列の“階級社会”でした。人間の身分としては平等です。しかし、会社の役職、給料は明らかに“階級制度的”でした。新卒1年目は、どんなに優秀でも、新卒1年目の給料です。なぜなら「新卒1年目だから」です。
一方、入社30年目の社員は、なんらかの役職についていました。その人の能力に関わらず、役職につきます。なぜなら「入社30年目だから」です。
かつてはこのようなルールで昇進と昇給が決まることが「当然」で、誰も取り立てて異議申し立てはしませんでした。飲み屋で、「なんであいつの方が給料高いんだよ」と愚痴ることはありましたが、それでもこの制度を受け入れていました。

しかし、事情は変わりました。
ここ数年は、実力主義が広まっています。少なくとも考え方としては世の中に浸透し、「実力があれば評価される、実力がなければ評価されない」と、みんなが思い始めています。
これからは“階級”がなくなった平等社会だと考え始めました。それだから、人々はより一層「不平等」をより強く感じるようになったのです。

かつては、同期がすべて同じエレベーターに乗っていました。そのエレベーターごと年功序列的に上昇し、同期同士は、せいぜいそのエレベーター内での“椅子取りゲーム”にいそしんでいました。
しかし、もはやそのエレベーターはありません。まだかろうじて残っている企業もありますが、メディアでは年功序列は過去のものとして扱われています。活躍している若手社員を取り上げたり、若手社長が経営するベンチャー企業を特集したり。「これからは実力次第で、活躍できます」という流れはおそらく変わりません。
ビジネスパーソンを区切っていた“身分制”は、過去のものになりつつあるわけです。
そして、各個人が、エレベーターから降りて登ることになったのです。そしてこれが、平等に生きられるはずの社会において、不平等を生みだすことになり、「本当は平等のはずなのに」という妬みを生みだすことになったのです。
自由になっているからこそ、人それぞれ得られる結果に差が出ます。努力して人よりも上に行くこともできれば、自分より上を見上げて妬むこともできます。

どっちの道を選ぶかは、自分次第ですが、せっかくの時間と自分の頭脳を「妬み」に使ってはもったいないと考えるのはぼくだけでしょうか?
まわりに流されず、自分で考え、自分の足で立って生きていくために、マンガ『カイジ』から学んだことを本にまとめて出版しました。もう4年前のことです。この本は多くの方に評価され、悪魔的なベストセラーになりました。そしてこのたび、文庫版として世の中に再登場します。

ぜひお近くの書店で手に取ってみてください。

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